父の命日16回目。
父は 一言;「豪快」でした。 常に「楽しいこと」を求めた。 常に「人を笑わせよう」としました。 "人生、 笑ってる時間が長い奴が勝ち" がモットー。
しかしながら、 性格は繊細で、 医者としては、地味/地道だったと思います。 そして とことん地元に尽くしました。
地元民のために馬車馬のように働き、自分のために倒れるまで遊ぶ。これは我家の遺伝であり、家訓でもあります。
世の中がどう変ろうとも、 地域密着型医療を貫き、 介護や巨大医療施設経営の誘いにも乗らず、 ひたすら「訪問診療」を愛しました。
医師の「古き良き時代」に、 あえて拡大もせず、媚びることもなく、 同じ場所で、日夜、休日も関係なく、 他の医師の10倍は働き、そして10倍遊んだ。
晩年は肺(腺)癌で入退院を繰り返すものの、 「死ぬ覚悟など皆無」 副作用の危険域限界まで、抗がん剤静注を繰り返した。 イキタイカラ。
16年前、 父が、私に最後に言い残した言葉は、
『親が死ぬくらいでメソメソするな』
亡くなる1.2日前だったと思います。
父の人生は短く、そして太かった。 私は父ほど、太くはないが、 細くても、決して折れない人生にしたい。 メソメソせずに。