被災1年。 JR久大線(久留米ー大分線) 全線開通に日田は湧いた。
けど。。。 私たちの医療圏である久大線〜大鶴〜東峰村〜北九州を結ぶ「日田彦山線」は、あの日のまま。 線路は錆び、遮断器は破損したまま。
代行のバスは一日1往復、、1往復ですよ!
スーパーもコンビニもなく、高齢者は、遠くから運ばれくる揚げ物ばかりの小さな弁当が頼り。牛乳、豆腐など手に入らない。。
医者をしていて思うのだけど、 治療は大動脈ばかりやっても、結果、また末梢血管が痛む。
大動脈と一緒に抹消の血管がこれ以上痛まないように、何らかの予防措置や血行再建は同時に進行すべきではないかな。。
「日田彦山線」の北九州への山線はもともと赤字路線だけど、でも、その線路脇にはたくさんの人が今も苦しいながら息ずく。 それでも生きてゆく。
再開の見通しは立たない。 その裏には、たくさんの「ため息」が息ずく。
西日本災害の爪跡も深い。 本当に胸が痛む。 加えて、我ら、未だ先の見えない「九州北部水害再建」の話題は 「湯布院号」に沸いて、風化して行くのではないか。。
なんとかしたいけど、、、 力無き田舎医者の呟き。